記録の地平線

徒然なるままに

不可視の存在として

自分は持たざる者だと自覚している

それは、この人生を29年過ごしてきたから生まれた自意識であり自覚であり事実である

子供の頃から別段、何に心血を注いできた訳でもない

もしかしたら才能なんて呼べるものがあったのかもしれないけど、それは自堕落に過ごしてきたこの年月ですっかり風化して埋没してしまったのであろう

何も持たない者が、何かを持つ者達と関わるのは、非常に勇気がいるんだ

自分なんかと関わらなくても、持つ者達は既に、持つ者達同士のコミュニティを形成している

そこに持たざる者が交わろうとしても、水と油の様に弾かれてしまう

確かに親和性が高い者はいて、親身に接してくれる

そして錯覚する

-自分も何かを持つ者なのではないか?-と

そう、錯覚してしまう

 

だが、彼らとは根本的な部分で違うのだという事は火を見るよりも明らかで、錯覚している最中に目を覚ます出来事が度々起こることで、[何も持たない自分]という現実に回帰していく

 

自分が自分である証明とは何か?

 

それを私は、いまだに持てないでいる

 

 

ならば私は、何かを持つ者達とどのように接していけばいいのだろうか?

自分に何が出来るだろう?

その事をずっと考えている

 

才能が関係ない土俵というものは無い

会話にも才能が必要で、上手く話すにはコツがいるし、この人と話すのは楽しい、と思って貰えないと、いつか自分の事なんて切られてしまう

 

私はそれが怖い

 

人間が人間として存在しうる理由とは?

その人がその人たらんと存在出来る理由とは?

 

コミュニティの中の自分を形作るのは、周りにいる人たちだ

「あの人はこういう人」

「こういう所もあるよね」

「ここが好きだor嫌いだ」

そういう、周りの人たちからのイメージで、私というイメージが作られている

付き合いが濃く、長くなるにつれ、そのイメージは確固とした自分を形作っていく 

 

切られないように

捨てられないように

不可視の存在として、いなければならない

 

楽しくはないけどな

 

楽しみたいけどな