記録の地平線

徒然なるままに

そこに存在するということ

[卒業という事を主体に書いています。読みたくない人はページを閉じてください。]

 

 

ただそこにその人がいるだけで、それがどれだけ幸せなのか。

それをちゃんと理解しないといけない。

 

ドルオタには別れを待つ身という側面がある。

どれだけこの時間が続けばいいと願っても、それは儚く消えてしまうものだから。

 

 

「卒業」

 

 

この言葉が持つ希望と絶望を味わっていない人は、いつか来るそれをちゃんと見据えておかねばならない。

メンバーの終着点はアイドルになるという事だけではないから。

アイドルになりたくてなった人も、色々な仕事に触れる事によって、新たに志すものが生まれるだろう。

ある者は学業に専念し、ある者は女優や声優になりたいと願う。

新しいフィールドを望む者が、それまでの立場ではそれを望めないと理解した時、その場からの飛翔を渇望する。

それに必要なプロセスが、そのグループからの卒業なのである。

 

そんな事は理解している?

あぁ、ならばあなたはそうなのだろう。

しかし、俺はそうではなかったのだ。

松井玲奈さんに惹かれ、橋本奈々未さんに惹かれ、今もまた桜井玲香さんに惹かれている。

 

そして前者二名はグループを卒業している。

 

松井玲奈さんは女優を志した。

不器用で真っ直ぐでマイナス思考だった彼女が、SKEやAKBという立場で得た自信や夢や目標を叶えるために選んだ新しいフィールドが、女優というものだった。

今では、バラエティー番組の中のコーナーである鉄道ビッグ4の準レギュラー、西川貴教アニキとのレギュラー、ラジオのレギュラー、主演舞台や主演映画も既に数多く、その演技力はいつも高評価を獲得している。

 

橋本奈々未さんは裏方を志した。

乃木坂46に加入した当初から、自身は裏方向きだと公言しており、彼女に関わった監督の一人も同じように彼女の事を評している。

月9ドラマに出演し、秋元真夏生田絵梨花と共演してではあるが主演映画もある。

24時間女優、恋する文学、SOL、CanCamなどなど、彼女のその計り知れぬ才能や魅力に惹かれた人たちにより、新たなフィールドは拡がり続けていた。

そして彼女は、そのフィールドを全て捨ててでも、進みたい道を見出した。

更にその道は、彼女が最初から最後まで公言していた 裏方 というものだった。

様々な憶測が飛び交ってはいるが、まだそれがどのようなものかは判明しておらず、大きく耳目を集める事にはなっていない。

そして俺は、それを知る事を望んでいない。

 

幸せを願う、なんて、ある種烏滸がましい気持ちは確かにある。

だが、それはもう人知れず果たされるべきものであるし、あの人はわざわざそれを公表する様な人では無い気がする。

(勿論、本人の内面なんて到底知り得ぬ俺が言える事では無いが)

 

 

ここまで1000字以上書き連ねてきたこの記事を、一体何人の人が読むのかは知らない。

或いは誰も読まぬのかも知れない。

でもそれでいい。

この記事、ひいてはこのブログ自体、俺がその時一番言いたい事を言いたいだけ言う為に存在する場所なのだから。

 

 

そして、ここからもずっと言いたい事だけを言う。

 

 

今、とある特定の誰かを応援して、ファンでいる貴方は、いずれ来るその時を、頭の片隅に、心の奥底に、ずっと抱えていなければならない。

勿論、俺もだ。

そしてその時が来た時に、後悔の涙を流さない様に、今、その人がそこに存在するということを、全力で確かめながら、日々を過ごさねばならない。

 

俺は後悔の涙しか出なかった。

今でもそれが鈍い痛みとして残っている。

2016年10月から2017年2月まで。

その期間、俺は何もしなかった。

会いに行く事も、ブログにコメントをする事も、その他本人に伝わる可能性があるアクションの何もかもをやらなかった。

いや、やれなかった。

何をすればいいか分からなかった。

分からないという事を言い訳にして調べる事すらしなかった。

それなのに卒コンには行きたいなどと考えてしまい、申し込んだものの落選。

バースデーライブ三日目は運良く当選し、乃木坂46のライブというものを大いに楽しんだ。

 

だがそこに彼女の姿は無かった。

既に影も形も。

何も無かったんだよ。

 

卒コン後のSOL、事前収録ではあったが、[アイドル橋本奈々未]の最後の言葉が、涙交じりに語られていた。

それを聞いた人は多いかもしれない。

彼女はそこでこう語っている。

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足りない。

この言葉が重い。

どれだけ握手会で言葉を紡ごうとも、想いを告げる為には時間が足りず。

どれだけライブで声を涸らそうとも、周りの幾百幾千といる人たちの歓声に呑み込まれてしまう。

 

橋本奈々未初センターの表題曲が、卒業の為の曲になってしまった事は、俺個人的にはとても残念であるし、まだまだずっと彼女がいる乃木坂46を見ていたかった。

でもそれはもう叶わない。

 

そして俺はここまで書いてきた後悔の念と涙を、事あるごとに噴出させながら日々を過ごしてきた。

だが、卒業から半年以上経って、今日、ここに、こうして記せる様になったのは、自分の中で、橋本奈々未という存在が、収まるべきところに収まったからなのではないかと思う。

その場所がどういう名前なのかは知らない。

 

想い出?宝箱?あるいはパンドラの箱

 

でも確かに、俺の中のそこに存在している。

それはもう、喜ばしい事なのだ。

消し去る事も出来ず、忘れ去る事も出来ず、もがいて、足掻いて、苦しみ抜いた末に、静かにあるべき場所に落ち着いた。

 

 

 

だからもう大丈夫。

後悔の念を宿した棘は未だに抜けずに刺さっているけど、それを触ってももう痛くない。

 

 相変わらず「サヨナラの意味」と「ないものねだり」を聴くのはツラいけど。

でも前ほどはあのピアノのイントロにやられなくなったよ。