記録の地平線

徒然なるままに

#ななのこと

2019年2月23日〜2月24日の二日間、大阪にて開催されたイラスト企画展「ななのこと」

 

スタッフ体感で述べ千人以上が来場した(のではないかと言える)二日間。

時間的都合で会場に入れなかった人たちも含めたら、どこまで数が伸びるか知れない。

 

だけど、大切なのは数ではないのだ、と思う。

 

来てくれた人達が、その胸の内にある「乃木坂46 西野七瀬」への想いを再確認し、そしてこれからも応援していく為に、好きである為に、改めて強く想い続ける力とする為に、あの場は存在したのではないか。

 

推しでなくても構わないのだ。

現に私も推しは西野さんではない。

だが、そんなことは関係ないと思わないか?

彼女のことを「好き」だという気持ちが少しでもあれば、あの場に展示されていた作品を見て、嬉しい気持ちや懐かしい気持ちなどを感じて、胸の内に暖かいものが広がったはずだ。

それは、あの場が「西野七瀬への感謝」から生み出された作品で埋め尽くされていたから。

 

私たちが好きな乃木坂46というグループの一員であるということは、私たちがそれぞれ好きなメンバーと関わりがあるということ。

つまり、私たちそれぞれの推しの笑顔が生まれる理由に、西野七瀬という存在があったはずだということ。

それだけで、西野七瀬への感謝という気持ちが生まれないか?

少なくとも、私には生まれる。

今回公募企画に参加してくださったイラストレーターさん達もそのはずで、彼女の姿や活動を通して彼女のことを好きだと想うからこそ、参加を表明してくださり、そしてあの素晴らしい作品の数々を生み出す原動力としてくださった。

その【はず】は、イラストレーターさん達のみではないが、ね。

 

 

あの展示会を開くまでには様々なことがあった。

私の場合は、主催のどいや公爵から直接お誘いの言葉を頂き、一も二もなく引き受けた。

それまで公爵とはツイッター上で仲良くさせていただいており、会ったことはなくとも信頼出来る仲間として認識していて、彼が西野七瀬推しであることも十分知っていた。

だから、卒業コンサートが近付いてきたある日に彼から連絡が来た時、断るもしくは考える、なんて選択肢は無かった。

 

このことについては誰からの感謝もいらない。

私が公爵の力になりたいと思った。

ただそれだけなのだから。

 

 

そしてこの企画の始動に際し、まずは公爵がツイッターでななのこと公式アカウントを作った。

私はそのアカウントのツイート内容を考える任を賜り、宣伝文句や注意文の文言、それから当日の状況を伝えるなど、あのアカウントでのツイートは主に私に一存していただいた。

それとは別に、展示会場内の各コーナーのキャプションの考案を担当した。

 

主催のどいや公爵、メインビジュアルなどを作ったハシモトナオ、そしてのちに編集という立場になる私。

この三人でほぼ毎日、朝早くから夜遅くまで、自分たちの時間を割いて話し合いを重ねていった。

同時に運営本部なるものも作り、セまるさん、くろぴょん、高杉忍さん、ケイさんを含めた七人でタイトルから各コーナーの内容などを話し合った。

時には意見がぶつかったが、それは軋轢を生み出すものではなく、より良いものを生み出す結果となったのは紛れもない幸運だろう。

 

さて、これを読んでくれている奇特なる方々。

あなた方はハシモトナオのブログはお読みいただけただろうか?(https://hashinaofficial.hatenablog.com/entry/2019/02/26/221400)

 

この中に書いてある【覚悟】に似たようなものを、実は私も覚悟していたのだ。

仕事でも学校でもない、趣味で繋がった友人関係。

この繋がりが、もしかしたらこの企画を進行していくにつれ、些細なことで断ち切られてしまうかもしれない。

ツイッター上で仲良くしているとしても、LINEで繋がっていたとしても、それらはブロックすれば終わりを告げる。

だから私は、企画に参加した人たちとの繋がりが切れてしまうかもしれない、という、今思えば大袈裟な覚悟をしていた。

結果として、そうはならなかった。

それは間違いなく参加した人たちの人柄であるし、何より公爵が優しく、広い器を持った人物であったからに他ならない。

 

 

公爵、私をこの企画に誘ってくれて、本当にありがとう。

至らない点も多数あったとは思うけど、見捨てずにいてくれた。

あなたのおかげで私は、私の内に新たな自信を得た。

 

 

 

ここからは、私の後悔の念を吐き出す場とさせていただく。

知らねーよと思う方は下へスクロールするといい。

さて、前述の通り、入場出来ない人を多数生み出してしまったことを鑑みると、私は決して手放しで大成功だったとは言えないのである。

会場の近さを実感し、初日の大盛況を目の当たりにし、せめてもと初日と二日目の場内のレイアウトを変更した。

それでもやはり多数の入場者に太刀打ち出来ずに、数十分もの待ち時間、その結果入り切れない人達が出てしまい、コンサートの入場時間を鑑みて入場を諦めた人も大勢いた。

それは、こちらが締め出したというだけではなく、それほどの価値をこちらに見出して貰えなかったということでもある。

 

正直言うと、私は悔しくて悔しくて仕方がない。

あれだけの素晴らしい作品が集まって、西野七瀬推しの人や、そうではない人まで、余すところなく『ありがとう』を示すことが出来る場であったはずなのに。

もっともっと、もっともっと大勢の人にその場を届けることが出来たはずなのに。

 

それを私は、初日が終わってからずっと考えていた。

自分の考えの甘さを痛感した。

もっともっと煮詰めなければならない部分は存在していて、そして私はその部分から目を背けてしまったのだと思う。

絶対にもっと上手くやる方法があった。

私たちならそれが出来たはずなんだ。

私たちはそれが出来なければいけなかったんだ。

 

 

だが、私の後悔など関係なく、ななのことは初日と二日目を終えた。

終わってみたら、列に横入りする人も、早く入れろと騒ぐ人も、列に並びながらケンカをする様な人も出て来ずに、つまるところ大きな問題は全く無く終えることが出来た。

それは、やはり大成功と言える一面なのだとも思う。

 

ここまでで、私の後悔の話は終わりにする。

 

 

あの場には確実に笑顔が生まれていたし、イラストレーターさん同士の新しい出会いや、感謝の気持ちを共有するという我々の当初からの目標も達成出来ていた。

公爵が思い描いた理想の一端が、確実にそこにあった。

私は、その部分をとても喜ばしく思っている。

私の力がその一助になったのだと。

 

 

ここからはちょっとした裏話。

この企画が始動した時から、七つのコーナーを作るという構想があり、実は企画展タイトルも最初は「ななつのこと」だった。

色々なものがブラッシュアップされていく中で、今回はイラスト統括という役職を全うしてくれたくろぴょんが「ななつのこと」→「ななのこと」という提案をしてくれ、それは満場一致で採択された。

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公式アカウントでは説明をしなかったが、タイトルや各コーナー名を「ななが言っている」と考えると、また違った視点を得られないだろうか?

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ごく一部の人から文才があると言われていた私は、それを真に信じている訳ではない。

何故なら私は決してプロではなくただの素人であり、確固としたスキルを身につけている訳ではないからだ。

そんな私の、鍍金で塗り固められた文才が、果たして本当に良いものを生み出せるのだろうか、そんな不安があった。

でも、そんなものはあっという間にどこかへと吹き飛んだ。

一緒に話し合ったどいや公爵とハシモトナオという二人がいたからだ。

彼らは私の瑣末な才能を評価してくれており、尚且つ全幅の信頼を寄せてくれていた。

私はその期待に応えられるよう、全力を尽くした。

あのキャプションを練り上げることが出来たのは、二人がいたからだ。

本当にありがとう。

 

 

色々書いてきていて、これ以上何を書くべきか迷っている。

企画運営に際しての大小様々なトラブルや、その他説明出来る範囲の全てのことを時系列に沿って説明する、なんて考えたがそれはやめた。

何故ならそれは知られなくていい部分であるし、知らせたくない部分でもあるから。

 

 

 

ということで最後に、二日目の閉場時間に起きた小さな出会いをお話する。

 

二日目は閉場を17時としていた。

卒コンの開演は16時だ。

やはり16時からの1時間は訪れる人も少なく、列の整理などはいらずに自由に見てもらえる時間となっていた。

そして最終受付時間を16時50分とした。

レストランのラストオーダーの時間と言うと分かりやすいかな。

 

そしてその時間、私は会場の一階部分である入口で、いらっしゃる人たちを出迎える係についていた。

最終受付時間を過ぎ、17時で終了なんです、と説明する役。

そしてあと数分で17時になるかという頃、一台の車が会場前に止まった。

降りてきたのは男性で、車内にはお子さんが一人と、奥様とみられる女性。

という事はこの方はお父様だ。

そして、ななのことの会場がここで合っているかの確認をされた。

肯定しつつ話を聞くと、娘さんがここを探して走り回っているのだという。

なんでも、会場の場所を誰かに聞いたら京セラドームの南口方面だと言われたらしい。

だが、会場は京セラドームの北口側だ。

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迷ってしまうのは当然だった。

 

ななのことについてはご両親が知り、娘さんに伝え、ここに来ることにした。

そして一番来なくてはならないはずの本人が迷っている。

その頃には17時を過ぎてしまっており、お父様は時間を過ぎてしまったからもう諦めさせますと話した。

 

そしてその数分後。

娘さんがななのこと会場に着いた。

走り続け、息を切らせながら。

時間的には17時を5分ほど過ぎていた。

お父様が、残念だけど閉場してしまった、という旨を説明している。

「時間が過ぎてまで待って頂いてありがとうございます」

と話しながら車に乗ろうとするお父様に、私は

「もしよければ見ていかれませんか?」

と声を掛けていた。

時間はなんとかする、と。

私はこの娘さんの様な人にこそ「ななのこと」を見てもらわねばならないと思ったから。

その前に聞いていた話によれば、京セラドームに着いたのは16時頃だった。

つまり、誰かから間違った情報を聞かなければ開場している時間に間に合ったはずなのだ。

ならばこれは間に合ったと考えてもいいのではないか、と。

ちょうど下に降りて来ていたハシモトナオも賛同してくれ、会場内でスタッフとして手伝ってくれていたリモさんとゆきちさんも快く了承してくれた。

娘さんとお母様を中にご案内し、私は入口に戻った。

更に話を聞いた。

娘さんは西野七瀬単推しで、お父様曰く「西野七瀬さんしか見ていない」

ご案内して良かったと思った。

 

暫くして二人が降りて来た。

娘さんは会場内でも、そして降りて来てからも我々スタッフにペコペコとお辞儀を繰り返し、

「ありがとうございます。見られてよかったです!」

と何度も何度も言ってくれた。

 

この瞬間、報われた、と思った。

一ヶ月以上の準備期間、そして濃くて長いこの二日間はこの言葉を聞きたいがためにあったのではないかと。

 

車に乗り、走り出してもなお、娘さんはこちらに向かって頭を下げていた。

こうして、ななのことは終わりを告げた。

 

 

 

長くなってしまった。

ここらで締めるとしよう。

関わってくれた皆様へのご挨拶は主催の公爵が既にしているからここではしない。

 

卒業記念企画として始動した本企画は、卒業コンサートの公演日に終わりを迎えた。

 

二日間でお越し頂いた方々。

あなたの記憶に、あの展示の光景はまだ残っているだろうか?

あの場に入ることが出来て良かったと思ってくれているだろうか?

 

もしそのどちらも肯定してくれるのなら、私はそれだけで満足だ。

 

それではこのへんで。

これからも自分の推しに恥ずかしくない「推しごと」を。

 

さよなら。

ありがとう。